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告知・入院・手術

2010年3月24日 (水)

乳がん闘病記録・・手術

clover 乳房温存手術編 clover
闘病記録の抗癌剤Part2で書いたけど温存か同時再建か、すったもんだ
ありましたが、3.5→1.5㎝、1.5→1㎝と2つの腫瘍が縮小した私は乳房
円状部分切除術を行うべく2009年10月1日に入院となりました。

fuji1日目
午後から入院し、お風呂に入り夕方になって手術部分のマーキング。
まだ“変形”が頭をよぎるけど主治医を信じ託すぞ~!とダーリンに息巻
くと「お前まだそんな事言ってんの?!」と呆れられる私。

fuji2日目(手術当日)
私の主治医は当日4件の手術を抱えており、センチネルリンパを既に終え
ていた私は16時からの最終手術に決定。
先生疲れてミスしないよね??などと思いながら・・・。
そしてこの日は朝っぱらから教授回診で10人以上の医者がぞろぞろ。
主治医が簡単に手術内容を教授に説明。すると教授が「ちょっと診せて
貰って良いかな?」と言われ皆の前でオッパイを出す事に。 勘弁してよsweat01
さすが大学病院、今でもまだ教授回診とかあるのね~。しかし前日の夜
からは絶飲食だっただけにお腹ペコペコの私。
16時からの手術って結構辛いんですけど・・・。
ほぼ予定時間通りに手術が開始し、1.5時間位で無事終了。後でダーリン
から血だらけの術着のままの主治医(←せめて血だらけの術着くらい着換
えろよ~)から容器に入った腫瘍を見せて貰ったそう。「お袋の拳くらい
あったよ」だって。義母なんて「あんなに切除したら私だったらオッパイ
無くなっちゃうわ」と言っていたらしい。
かくいう私は翌朝までsleepy

fuji3日目
朝から主治医&乳腺チームの回診があり傷口の確認と消毒。心電図や
カテーテルなどの装具が全て外れ自由の身となり昼食からやっと食べ物
にもありつけた私。
身動きできるようになった私は即オッパイを確認。手術痕はついている
ものの健側と見比べても同じに見える=変形してないscissors 

fuji4日目
日曜なのに今日も主治医の回診があり「先生有難うheart04やっぱり先生信じて
温存にして良かったわ」と言うと「今はまだ分からないよ。これから水が
抜けると変形する場合もあるから」と相変わらず飄々と笑みを浮かべなが
ら生真面目に答える主治医。こいつ、優しいのか冷たいのか?!
でも私にはこの位の医者の方が良いのも確か。そして術後2日目だけど
お風呂の許可が出る。最近の手術って回復が早いのね~、感心感心。
義母や友人がお見舞に来てくれ皆あまりの私の元気の良さに驚いてました。

fuji5日目(退院日)
術後の経過も順調でたったの5日間で退院です。ヤッホーup
しかし又もや朝っぱらから教授回診。たった5日間の入院で2回も教授回診
にあたるとは。私もよっぽどついてるのね~coldsweats01 案の定教授が「患部を診せ
て下さい。お~、綺麗に仕上がってますね。良かった良かった」だって。
そして今日も10数人の医者の前でオッパイ全開の私。

次回診察日の指示を受け午前中にサッサと退院しました・・とさ。

2010年3月13日 (土)

乳がん闘病記録・・1回目入院まで

clover 告知~1回目入院編 clover

告知をされてからは治療をするなら①大病院、②家から30分位で通える、
③主治医は乳腺専門医
+話しやすく経験値もある同世代の医師である事を
希望していた私は、たまたま今の病院が希望通りであった事から
セカンドオピニオンは取らず治療をお願いする事に。

ここからは怒涛のごとく検査が続くのですが、MRIが混んでいて入院前日に。
そこで腫瘍が大きく2つもある事が発覚しちゃった。
当初腫瘍サイズは2㎝ステージ1、温存手術する予定が大きく狂い
3.5㎝と1.5㎝の2個の腫瘍(多発癌)でステージ2aに格上げ・・shock

挙句に主治医から「残念ながら温存は出来ません。全摘となります」
と厳しい一言。入院前日にいきなり全摘なんて、そんなのあり??

癌告知をされた時よりもショックで不覚にもダーリン&主治医の前で
涙が止まらず。しばし無言が続き私の鼻をススル音だけが響く中、
主治医から「rinkoさんは病理検査の結果腫瘍のサイズ、浸潤あり、
グレード3(癌の悪性度が最も高い)である事からどのみち抗癌剤が
必須です。よって3つの治療方法があります」と


①全摘+同時再建術、②術前化学療法、③全摘(再建なし又は後日再建)
①は形成外科と連動し、乳がんの手術をした直後再建手術を行う方法。
手術が1回で済むため体の負担が少ない。
②手術→抗癌剤と進む標準治療の順番変え、先に抗癌剤をする事で腫瘍
が小さくなれば温存、小さくならない場合は全摘
③手術→各種治療を行ってから再建を考えるという最も確実な方法。

数時間後に私は多少のリスクがあろうとも出来る限り自分のオッパイを
残したいとの思いから「術前化学療法」を選択。再度主治医と話し合い、
ここで私の治療方針が確定する事に。


痛くも痒くもないのに4/8
予定通り入院し、センチネルリンパ節生検
4つのリンパを切除し転移を調べ、1回目の抗癌剤(EC)を開始し
6日後退院。主治医から抗癌剤の治療方法や副作用(吐き気、脱毛、
生理が止まるなどの症状が起こる)の説明を受けました。
恐れていた抗がん剤治療が始まった不安と治していくぞ!!
という気持ちが複雑に入り混じっていたかな。

しかしこの後、想像以上の抗癌剤の副作用に肉体的・精神的に
ノックダウン寸前まで追いやられる羽目になった私。

2010年3月 3日 (水)

乳がん闘病記録・・告知まで

私がこのブログを始めたのは体の余裕ができた最近になってから。
とりあえず心配してくれている友達に報告を兼ねて・・という気持ちから
始めたので、闘病記とは言っても肝心な闘病生活はあまり書いてないのよね。
自分自身の記録の為にも、当時のメモを基に少しずつ書いておこうかな~confident

clover 告知編

20091月に毎年受けている会社の人間ドックで婦人科検診が受診出来ず、
自分で乳・子宮癌検診を受けにいきました。
しこりや体調の変化等の症状もなく、いつも通りの生活を送ってたっけ。
2月中旬に検査を受けた所から「乳がん要再検査、至急来てください」と。
それでも自覚症状もないし大丈夫だろう・・と高をくくっていた私は気楽
に出掛け、お医者さんから「マンモグラフィーには写っていませんが、
触診で引っかかっています。念の為紹介状を書きますので早目に乳腺外科
で診察して下さい」と言われる事に。
マンモに写らないなんて事あるの?そんな大袈裟な・・と思いつつ
3/7に紹介状とマンモ画像を持参し、大学病院の乳腺外科へ。

そこで「マンモに写っていませんが40歳前半位までの女性は乳腺が発達
しているので、写らない事もあるんですよ。」と言われ再度触診&エコー
検査を受けたところ、エコーで先生の手が止まり素人の私もわかる
ハッキリと丸くなった箇所が・・・。「悪性か良性かを判断するため針生検
を行いますが、経験上悪性である可能性が高いと思います」との言葉が。
ぶっとく長い針をオッパイに刺され、腫瘍を一部採取し1週間後に再度病院へ。

3/14結果を聞きに病院へ。そこで「悪性腫瘍でした。乳がんです。家族の
方はいらっしゃいますか?リンパも一部腫れていて転移の可能性もあるので
3/16に精密検査を行います。うちの病院で良ければ来て下さい。
セカンドオピニオンを求めても良いですよ」と。

あまりにも唐突に「乳がんです。転移の可能性・・」と言われダーリンも
私もビックリ!!突然な出来事に茫然としていたのか?!涙も出なかった私。
告知ってこんなもんなのか?というのが感想。
でもさすがに家に帰りダーリンの前で涙がポロポロ。
私が癌、乳がんなんだ、死んじゃうのかな?」と。

家に帰りネットで調べ始めたものの乳がん、転移、セカンドオピニオンとは?
から始まり情報の整理が出来ない状況。今ですら標準治療や治療の流れなど
理解できているものの、情けない事に当時は聞きたい事すら分からなかった私。

そしてネットなどで調べれば調べるほど手術自体よりもその前後の抗癌剤、
ホルモン、放射線治療の副作用や治療期間の長さなど大変な事が分かり、
盲腸の手術程度に考えていた私は恐怖とショックで泣き続ける毎日。
自覚症状がないまま目まぐるしい展開に自分自身の中で整理がつかない状態
に陥っていたものです。